石切で120年秋田宅建不動産の歩み

明治から平成を生き抜いて
 

創業は明治時代

東大阪市吉原に鎮座する栗原神社。創建年代は不明ですが、千年以上の由緒ある神社です。現在は取り壊されてしまいましたが、その旧社殿は、明治29年に秋田宅建不動産(秋田工務店)の創業者である秋田岩吉が造営したものです。岩吉は、大戸村大字芝(現在の中石切町)に居を構え、村内の寺社や学校、住宅などを一手に引き受ける、いわゆる“村の棟梁”でした。

平和な日々の明け暮れを破ったのは、戦争とそれに次ぐ敗戦でした。3代目の秋田熊雄は、戦地から復員するとすぐに、「これからは住宅がうんと必要になるぞ」と、大阪市内への進出を積極的に進めます。天王寺周辺を中心に建売事業を展開、次々に住宅を建てていきました。4代目で現会長の秋田敏幸は、大工と一緒に石切から天王寺まで物を運ぶ手伝いをしたことを、幼い頃の思い出として鮮明に記憶しています。

昭和38年(1963)、熊雄は地元石切に戻り、地元では初めての分譲建売住宅の販売を開始しました。建売と言っても、現在のような規格型のものではなく、非常に個性的でデザイン性に富んだものだったため、地元で一躍有名になりました。「秋田の住宅は高いが、それだけに質が良い」。今も地元に根強く残るこの評価は、じつに半世紀も前のこの時代に始まっていたのです。

初代 秋田 岩吉(中央)、二代目 繁太郎(左)、三代目 熊雄(右)
 

頑丈な施工と斬新なデザインで名を馳せた建売住宅時代

頑丈な施工と斬新なデザインで名を馳せた建売住宅時代

自社施工にこだわる

秋田宅建不動産にはもう一つ大きな特徴があります。それは「自分で土地を買い、自社の大工で建てて、自分のところで売る」というスタイルを守ってきたことです。昭和30年代の後半から日本は高度経済成長期に入り、建てれば売れるという状態の中、粗悪な住宅も乱発されました。しかし、秋田宅建不動産はそんな風潮には背を向けて、つくる者が「これなら大丈夫」と自信をもって引き渡せる家をつくり続けました。その頃に建てた家は今も石切のそこかしこに残り、変わりなく住み続けていただいています。

父の跡を継いで4代目社長となった秋田敏幸は、「正直うちのスタイルにもどかしさを感じたこともあった」と語ります。よそは下請けにつくらせて利益をあげている。うちもそうすれば効率的なのにという思いが心の片隅にありました。しかしそう思う端から、いや、だからこそクレーム産業と言われるこの業界で、秋田はお客様から高い評価をいただけているのだという自負があります。そしてある出来事に直面した時、敏幸は心の底から、自分たちが貫いてきた方針が間違いではなかったと感じることになります。

それは、時代が平成になって間もなく起きたバブルの崩壊でした。建築会社が次々と倒産する中、秋田宅建不動産は「お宅は堅実な商売をしておられるから」と、銀行からのサポートを受け、嵐の時期を無事に乗り切ることができたのです。

「真面目に、愚直に120年 会長 秋田 敏幸」

私の父はものづくりに関して一種独特のセンスを持った人でした。その父から会社を引き継いだ時には、私のような凡人に務まるものだろうかと思ったものです。そんな私を支えてくれたのは、「真面目だけが取り柄の自分だが、少なくともどこに行っても通用するだけの仕事はしている」という、ささやかな矜持でした。お施主様に迷惑をかけないこと、台風や地震が来ても安心だと思っていただけること。自分にも従業員にもそれを言い聞かせ続けて、「秋田の家は良い」と地元の評判を落とさずに、ここまで来られたと思っています。

ひとつだけ残念なのは、「良い」の前に「高いけれど」という修飾語がつくことです。これはイメージが先行しているだけで、実際それほど高いわけではありません。もちろんローコスト住宅ではありませんが、いわゆる地場の工務店で注文住宅を建てられる時の適正価格に設定しております。この機会にぜひ、この誤解を解いていただければ有難く思います。

いまも私はお正月に、祖父が建てた家のお施主様のところに年始のご挨拶に伺います。百年以上を経た家ですので、不都合になってきた箇所は時代に応じて、改築・増築により手を入れてまいりましたが、丁寧に、慈しむように使っていただいているのを見ると、有難くて頭が下がります。そして、家づくりに取り組む者として、失ってはならない真摯な思いを再確認するのです。真面目に、愚直に、まっすぐに、これからも歩んでまいります。どうか皆さま、これからの120年も、秋田宅建不動産を何卒よろしくお願い申し上げます。

二代目繁太郎が建築し、百年余を経た今も丁寧に住まいしてくださっているK様邸

二代目繁太郎が建築し、百年余を経た今も丁寧に住まいしてくださっているK様邸

地元への感謝の念を原動力に

住まいのよろず便利屋さん

現在、秋田宅建不動産は5代目社長・秋田圭治のもと、≪石切エリアの住まいのよろず便利屋さん≫として、社員一同、充実した日々を送っています。住まいのよろず便利屋さんというネーミングには、「120年もの間、石切に根を下ろすことで得たものを、地域のみなさまの幸せのために役立てたい」という願いをこめています。たとえば土地探しだったり、住み替えするべきかという相談だったり、引越し先で近隣トラブルはないかという問合せだったりと、お客様が知りたいと思っているのに、誰に聞けば良いのかわからないことを一手に引き受けたい、それができるのは自分たちしかいないと思っています。

つい先日も、あるお客様がインターネットの接続ができなくて困っていたところに、たまたま社長が通りかかり、詳しい人を探して設定しました。棟梁の桑田も、道を歩いていてお客様に声をかけられると、気軽に立ち寄って時計をつけたり、不用品を捨てたりというお手伝いをしています。仕事をする範囲を広げず、顔の見えるおつきあいをしているからこそ、それが出来るのだと思います。ショールームに行って、お客様が設備のグレードを上げようとすると、「そこまで必要ない」と社長が止めるのも、予算オーバーさせたくないという一心。お客様からは「口うるさい親戚のおっちゃんみたい」と言われていますが、結構本気で私たちはそうなりたいと思っています。

お客様の声「我が家も、そして姉の家も全部秋田宅建不動産です」東大阪市M様

秋田宅建不動産と建替えの相談をし始めた時にここの土地を分譲しておられることを聞き、急きょ計画を変更して土地を購入、長男の家族と一緒に暮らすための家を建てました。とにかく秋田さんの家は良いという評判は地元で定着しており、憧れではあるのですが、とても手が届かないと思い、最初はほかで探していたんです。ところが先に家の内装工事をしてもらっていた姉が、「いいよ、全然違うよ」と言うし。姉の息子も秋田さんで建てたし、「思い切ってうちも」とお願いしたのですが、その結果は大正解でした。

家の頑丈さや住み心地はもちろんですが、一度関わると、とことん面倒を見てもらえるという安心感、これが大きいです。道を歩いていて大工さんに会うと、「何かお困り事はないですか」と必ず声をかけてくれますし、社長の圭治さんに至っては、どんなことでも相談にのってくれます。うちは次男も秋田さんで建てたので、姉のところと合せると4軒が秋田さんの家に住むことになりました。孫たちが建てる時にもお世話になろうと決めています。

三世代が仲良く暮らすM様邸。ご家族のあたたかい人柄そのままの外観です

6人がゆっくり寛げるLDK。ソファに座って吹き抜けを見上げるのが、ご主人にとって 至福のひとときだそう!

2階の廊下を挟んで子供たちの部屋があります。吹き抜けを通して家族の気配をいつも感じられるので、末のお嬢ちゃんも安心

「家づくりで失敗する人を無くしたい」 代表取締役 秋田 圭治

120年という長い歴史を刻んできた会社を、ちゃんと存続させていかなくてはならないというプレッシャーはもちろんあって、そのために仕事が欲しいというのは偽らざる本音です。でも、だからと言って、欲しいと言われれば「はいはい」と売れば良いということには、絶対にならないのがこの仕事。なぜなら建てたその家で、お客様は長い年月を過ごしていかれるわけですから、その家族の真のニーズに合った住まいを提供していないと、「失敗した」「建てるべきではなかった」という思いが、ずっと続くことになってしまうからです。

そうなると「秋田宅建不動産はちゃんとしてくれなかった」という評判が立ってしまいますよね。私がしつこく「どういうつもりで家を建てるんですか?」「家を建てることでどのような暮らしを手に入れたいのですか」と聞くのは、お客様に失敗させないことによって、自分たちもまた後悔のない家づくりをしたいという本音があるからです。

ですから喉から手が出るほど仕事が欲しい時でも、「マンションを買われた方が良いですよ」とすすめることもありますし、「もう少し後にしたら」と言うこともあります。長い目で見ると、絶対にそのほうが喜んでいただけるからです。えらく気の長い商売に見えるかもしれませんが、この先さらに120年会社を続けていくためには、必要なことだと思っています。

人に信用してもらいたければ嘘をつかないこと。それは代々秋田宅建不動産に伝えられてきた基本的な姿勢です。嘘のない家づくり、徹底的にお客様の立場に立った家づくりに、今後も精励していきたいと思います。みなさま、どうかこれからも秋田宅建不動産を見守っていてください。お客様によって私たちは育てられ、また新たな地平を切り開いていくことができます。ご指導の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

▲秋田宅建不動産本社

▲構造見学会

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